風景と旅の写真家のブログ

心に残る風景、旅先で出会った風景を、写真と文章で紹介します。

レオンの死

愛犬のレオンは、7歳8か月の生涯を終えて、旅立ちました。


ゴールデンレトリバーの男の子です。


あらためて早すぎる生涯でした。



大型犬は寿命が短いと言われます。


でも、7歳8か月で突然逝ってしまったのは、ショックでした。



せめて10歳までは、いや、こんなに早く逝ってしまうとは


思ってもみませんでした。



とりわけ、この2年間は毎日ずっと一緒に生活していたので、


レオンの存在は、そこにいることが当たり前でした。


その当たり前が、突然失われてしまうことに、


心が準備されていませんでした。



レオンが亡くなってから、近所の方々や、ぺットホテルや


トリミングでお世話になった方々から、温かい言葉をいただきました。



本当に感謝です。心から感謝です。


ありがとうございます。



まだ、時間がかかるかもしれませんが、


レオンの死をどう受け止めていけばよいのか、


じっくり考えていきたいと思っています。



レオンの死後、


久しぶりに、宮沢賢治の詩を思い出しています。


妹トシの死に際して作られた詩編が多く残されています。



鉛筆書きのメモがいっぱい残っている宮沢賢治の校本全集を、


書棚から出して、ぺらぺらめくっています。



トシの臨終に向き合って作られた詩(「無声慟哭」3部作)や、


他界にいるトシとの交信を試みて書かれた挽歌詩編(「青森挽歌」)など


いろいろあります。



トシの死から2年後の日付を持つ「薤露青」(かいろせい)


という美しい詩があります。


その中で、賢治はトシの死について




・・・ああ いとしくおもふものが


   そのままどこへ行ってしまったかわからないことが


   なんといふいいことだらう・・・・




と書き記しています。



妹を亡くした賢治に、今の自分を重ねるなど、全くトンチンカンなのですが


なぜか、賢治の詩を思い出してしまいます。



「賢治さん、ごめんなさい。」ですね。

あれから そして 愛犬の急逝(2)

3月23日(土)レオンは緊急入院しました。



貧血と腫瘍に対する処置と並行して、腹水を抜いてもらいました。


看護師さんはレオンを抱えながら、鼻と口に酸素吸入してくれました。


先生はレオンのお腹から、注射器で血だらけの腹水を、


繰り返し、繰り返し、抜いてくれました。



血だらけの腹水は、器に1リットルぐらいありました。



お腹に血だらけの腹水がたくさん溜まっていたのです。


後は貧血状態から脱することでした。



ステロイドや止血剤を注射してもらい、点滴をしながら


直ちに、酸素室の硝子部屋に移してもらい入院しました。



今夜一晩がレオンが危機を脱するかどうかの山場でした。


貧血が治らなければ、輸血しなくてはなりません。


病院に献血犬がいるということを、初めて知りました。



私は祈る気持ちで、病院を後にしました。



翌日



レオンのひどい貧血状態は、危機を脱していました。



「よかった。」まずは「助かった。」ということで


ほっとしました。


レオンは一命を取り留めたのです。



そして



日を追うごとに、レオンは回復していきました。


表情も明るくなり、体力の回復を待って、入院6日目の夜


全身麻酔してCT検査をすることになりました。



(正直なところ、レオンは全身麻酔に耐えられるのだろうかという


不安がありました。)



深夜自宅で待機していると、病院から



「無事検査が終わりました。」


「しばらくして麻酔から覚めるので、ご飯を食べさせます。」


「安心してください。」



という電話が入りました。




そして、検査結果の分析をしてもらいました。


普通は3,4日かかるそうですが、緊急で翌日には結果が出るということでした。



しかし、



翌日知らされたのは、「手術不適応」という結果でした。



獣医師のO先生から


「レオンちゃんは、残された時間を、お父さんお母さんと


有意義に過ごされるのが一番です。」


と言われました。



検査直後の、「脾臓だけの腫瘍であれば、転移もなければ、


手術で助かります。」という期待は打ち砕かれました。



「レオンの命は助からない。」という事実を受け止めなければなりませんでした。




入院してからは、毎日朝夕2回面会に行き、硝子越しに


レオンと対面しました。


妻はレオンが入院して2日目、熱と咳がひどくなり、


面会に行けなくなりました。



私一人で、レオンに会いに行きました。


帰る時は、必ず手のひらをレオンに向けて「待て。」の合図をしました。


「お父さんは、また来るよ。必ず来るよ。」という合図です。


入院して数日すると、面会に行っても立ち上がらくなりました。


お父さんが来ても、「外へ出してもらえない。」からです。


でも、5日目になると、立ち上がって床を足で掘る仕草を


一生懸命にやって、「外に出たいアピール」をするようになりました。



体力が回復して、閉じ込められているのが我慢できないのです。



元気になったレオン。


でも、血液肉腫という難治性の病に侵されているレオン。



3月29日(金)


私はレオンを車に乗せて、自宅へ帰りました。


車の中で、「レオン、家に帰るよ。」と


言葉をかけました。


レオンは私をじっと見つめていました。

あれから そして 愛犬の急逝(1)

いったいどれだけブログを更新せずにいたのだろう。


前回のブログは、昨年の10月3日「中秋の名月」でした。



あれから半年以上経ってしまいました。



長い残暑のあと、短い秋も過ぎて、冬になり、


新年を迎えて、春になりました。



でも、ブログの更新ができないのです。


フォト日記を書くように、旅日記と写真を載せるという作業が


できなくなってしまったのです。



というのも、この1年ジャズセッションに足しげく通うようになり、


おまけにトランペットのアドリブ教室にも、


月1回通うようになりました。


ただレッスンの課題を練習しなくてはならないので、


月1でも練習時間がかなり必要になって来たという訳です。



それまでの生活のリズムとは違う日々が続くようになってしまい、


何だかレッスンの練習が重要項目になり、自分の中で手一杯という感じに


なってしまいました。



セッションに参加しても、すぐ上達して演奏できるわけでもなく、


楽しさが無くなって、上手く演奏ができないという負のイメージだけが


先行するようになってしまいました。



とは言え、旅行と撮影をやめたわけではありません。


でも、ブログに載せようという意欲がわかなくなってしまいました。



「はて?」


「私は何をしたいんだろう?」


「はて、いったい私は、、、、、、。」



次回の写真展を企画をしなくてはという思いで、


あれこれ撮影した写真をレタッチしたり、プリントしたり、


展示写真の候補を吟味したりしてはいるのですが、


なかなか、先に進めないのです。



自分の中で、何かが停滞してしまったのです。



そして、



愛犬のレオンが、突然病気で逝ってしまいました。


               2022年7月撮影


病名は、血管肉腫。


大型犬に多い病気で、脾臓や肝臓などに腫瘍ができて、


他のリンパ節や筋肉にも転移し、死に至る病です。


難治性で、予後1か月とか、良くても3か月という病です。



レオンは、3月12日に動物病院を受診して、



エコー検査の結果腹部に異常あり、腹水もたまっている、


多分脾臓か肝臓に腫瘍らしきものが認められる。



手術という選択肢もあるが、それで助かる確証はなく、


CT検査による精密検査をしないことには、明確な治療方法もわからない。



という診断でした。



原発性といって、脾臓内部から生じた腫瘍であれば、


摘出すれば助かります。


脾臓を摘出しても、命に別状なく、健康に過ごすことができます。



でも、レオンは違いました。



( 以下レオンの闘病記録 )



3月23日の土曜日病状が悪化して、緊急入院しました。


脾臓の腫瘍から出血して、貧血状態に陥り、緊急を要する状態でした。



土曜日の午後、かかりつけ医は休診、近所の動物病院を受診して、


緊急の手術をしないと助からないと言われ、


大急ぎでCT検査のできる病院を探してもらいました。


おかげで


「もりやま犬と猫の病院」が受け入れ可能ということで、


緊急入院しました。



すぐさま、貧血で危険な状態を回避すべく措置をしてもらい


一命を取り留めました。


若いO獣医師が適切に処置して下さいました。


   

                2024年2月撮影


( 続く )