風景と旅の写真家のブログ

心に残る風景、旅先で出会った風景を、写真と文章で紹介します。

あれから そして 愛犬の急逝(2)

3月23日(土)レオンは緊急入院しました。



貧血と腫瘍に対する処置と並行して、腹水を抜いてもらいました。


看護師さんはレオンを抱えながら、鼻と口に酸素吸入してくれました。


先生はレオンのお腹から、注射器で血だらけの腹水を、


繰り返し、繰り返し、抜いてくれました。



血だらけの腹水は、器に1リットルぐらいありました。



お腹に血だらけの腹水がたくさん溜まっていたのです。


後は貧血状態から脱することでした。



ステロイドや止血剤を注射してもらい、点滴をしながら


直ちに、酸素室の硝子部屋に移してもらい入院しました。



今夜一晩がレオンが危機を脱するかどうかの山場でした。


貧血が治らなければ、輸血しなくてはなりません。


病院に献血犬がいるということを、初めて知りました。



私は祈る気持ちで、病院を後にしました。



翌日



レオンのひどい貧血状態は、危機を脱していました。



「よかった。」まずは「助かった。」ということで


ほっとしました。


レオンは一命を取り留めたのです。



そして



日を追うごとに、レオンは回復していきました。


表情も明るくなり、体力の回復を待って、入院6日目の夜


全身麻酔してCT検査をすることになりました。



(正直なところ、レオンは全身麻酔に耐えられるのだろうかという


不安がありました。)



深夜自宅で待機していると、病院から



「無事検査が終わりました。」


「しばらくして麻酔から覚めるので、ご飯を食べさせます。」


「安心してください。」



という電話が入りました。




そして、検査結果の分析をしてもらいました。


普通は3,4日かかるそうですが、緊急で翌日には結果が出るということでした。



しかし、



翌日知らされたのは、「手術不適応」という結果でした。



獣医師のO先生から


「レオンちゃんは、残された時間を、お父さんお母さんと


有意義に過ごされるのが一番です。」


と言われました。



検査直後の、「脾臓だけの腫瘍であれば、転移もなければ、


手術で助かります。」という期待は打ち砕かれました。



「レオンの命は助からない。」という事実を受け止めなければなりませんでした。




入院してからは、毎日朝夕2回面会に行き、硝子越しに


レオンと対面しました。


妻はレオンが入院して2日目、熱と咳がひどくなり、


面会に行けなくなりました。



私一人で、レオンに会いに行きました。


帰る時は、必ず手のひらをレオンに向けて「待て。」の合図をしました。


「お父さんは、また来るよ。必ず来るよ。」という合図です。


入院して数日すると、面会に行っても立ち上がらくなりました。


お父さんが来ても、「外へ出してもらえない。」からです。


でも、5日目になると、立ち上がって床を足で掘る仕草を


一生懸命にやって、「外に出たいアピール」をするようになりました。



体力が回復して、閉じ込められているのが我慢できないのです。



元気になったレオン。


でも、血液肉腫という難治性の病に侵されているレオン。



3月29日(金)


私はレオンを車に乗せて、自宅へ帰りました。


車の中で、「レオン、家に帰るよ。」と


言葉をかけました。


レオンは私をじっと見つめていました。